貧乏な家庭で毒親に育てられた中学時代
今で言うDQNな親に育てられた中学時代の話をする。
入学式には制服一式、持ち物も一通り揃えてくれたからなにも問題なく中学生活が始まった。
バレー部に入部したんだけど、シューズとサポーターが必要になった。
母も中学の時バレー部だったからって母の中学時代に使っていたサポーター(何年前のやねん)を渡された。
皆と違う。ダサい…嫌すぎてそれはさすがに買って欲しいとお願いして買ってもらった。
シューズも皆と同じasicsにしてもらったから満足!!
体操服は1枚しかなかったから夏で汗だくになっても雨の日だと乾かないし次の日も同じのを着てた。
ちなみにカッターシャツは洗い替え用にって2枚。靴下も2足だけ。
それを3年間使った。買ってくれなくて。もうボロボロだし黄ばんでた。
靴下は追加で買ってくれたけど、穴が空いたら自分で縫って履いての繰り返しでやっぱり限界があるし隠しきれないくらいになったら買ってくれる感じだった。
多目的ルームに行く時はみんな上靴を脱ぐから恥ずかしくてすり足で歩いてたけど確実に変な人だったと思う。笑
カッターシャツ、体操服を急ぎで夜洗濯したら父親に怒られた。
「自分の分だけ洗うな。お前は思いやりがない、自分勝手。」
普段から家事は私がさせられてたけど朝から夕方まで学校→部活で忙しいのわかってるのになんでそんな言葉が出るのかな?
6人家族で大量の洗濯物を毎日できるわけがない。
両親はパチンカス。父親は仕事が続かない。
母は糖尿病を患っていて合併症からの網膜症、腎臓も悪くなってたけど見た目は元気だしパチンコには長時間いけるのに働けないって。
ニートでその日暮らしの適当な仕事で食いつないでた。
お金がなかったら闇金にお金借りてて取り立てに来たこともあった。
「お母さんお父さんはいないって言っといて」
って言われてた。妹が間違えて「います!」って言った時はあとからめちゃくちゃ怒られてた。
布団もなくて、毎日寝袋で寝てたよ。
唯一、煎餅みたいにぺちゃんこの掛布団はあったかな。
でもほぼ洗ったことないからダニとかやばかったと思う(鳥肌)
今は分厚いマットレスとふかふかの羽毛布団で気持ちよく寝てて幸せ
もちろん今でも雑魚寝や地べたで寝るのは余裕!!笑
母はよく「シングルで4姉妹を大人になるまで育て上げた」みたいなこと言うけど、はっきり言って放置子だったからな。
完全にネグレクトだし偽装離婚で父も一緒に住んでたからな!
自分の趣味で子供の髪の毛は染めまくってた。
わたしは小学生の時茶髪よりの金髪だったけど、妹1は白とか紫のメッシュ、オレンジに染めてた。
妹2と3は双子だったからロンドンブーツ1号2号に真似て赤と超金髪だった。
妹2は男顔だったから当時ワールドカップで人気のあったベッカムを真似てソフトモヒカンに金髪だった。
それで保育園通ってたよ。。やばいよね。
関わらんとこってなる😂
話逸れたけど、常に家の中はタバコの煙が充満してたから制服もタバコ臭かった。
学校で先生にタバコ吸ってるのかと疑われたこともあった。
親が親だからね、わたしがタバコを吸いだすのはもう少しあとの話。
制服のクリーニングも1年生の時だけであとの2年は洗わなかった。今考えたら汚い生徒だな。
門限は夏17時、冬18時
過ぎると鍵をかけられる。
部活のない日に友達とプリクラを撮りに行ったり、公園で喋ったり、カラオケに行ってても門限を守らないと怒られる。
友達は19時門限の子が多かったから羨ましかった。
遊ぶお金は週に1回の購買部のお昼代500円をケチって残して充ててた。いつもお金のない子だった😱
両親ともにバリバリの元ヤンのくせにそういうところ厳しすぎって思ってた。
母いわく、自分みたいになってほしくないからと。
ならないよ、もうヤンキーの時代は終わってると思ってる。
小学生の頃、アトピー性皮膚炎で手足の関節が結構酷くてかきむしって血とか汁が出てたんだけど、皮膚科でもらった塗り薬を毎日塗ってたけど全然よくならなかった。原因不明と言われてた。
服装は膝下ズボンか長ズボンが多かった。
中学生になると制服でスカートを履かないといけないし恥ずかしいし嫌だった。
膝下丈にすればいいけど裾が当たって痒い。
けど、中学一年生の一学期にはなぜか治った。心因性だったらしい。
親からの虐待、ネグレクト、妹の面倒、色々が重なって自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたんだと思う。
部活を始めて、家にいる時間が短くなったから治ったのかな。
思い出すともっとあるんだけどまとめるのが下手なので次は高校時代の話になる。
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